せいかつするのはむずかしい

むずかしいながらも、なんとか生きています。

閉じ込めていた箱を開け、また再生しよう~20周年イヤーの終盤に寄せて~

 

 

海に、なりたい。

 

海になりたい part.3

海になりたい part.3

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いきなりよくわからないことを言ってしまいました。失礼致しました。

15歳のころから大好きなバンドの最新曲を久々に聴いたら気持ちが10代後半〜20代の頃に戻ったので、今日はその頃の懐古のブログを書こうと思います。

実は昨年からちまちまと書いてたんですが行き詰って下書きに塩漬けされていた記事を書き直して、なんとか11月までに間に合わせたくて書きました。

私の、ある一つのバンドが好きだった記憶のエッセイです。

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中学生の頃の私は友人の影響で、BUMPやらアジカンやらの所謂Jロック、ロキノン系を田舎に住んでいながら学び始めた頃で、よくFMラジオを聞いていた。特に好きな傾向の音楽は、前述の2バンドのようなギターの目立ったサウンドだった。

中3の夏、よく聞いていた音楽ラジオ番組で、鮮烈な出会いをした。

 

一瞬で、心を奪われた。

 

キャッチーでキュートなバンド名も「CRAZY FOR YOUの季節」というタイトルも、ソリッドなギターロックサウンドも、男性ボーカルの上から聞こえてくるふわっとした独特な声の女声コーラスも、歌詞の独特な言語観も、サビの頭の歌詞が曲名からなのも。全てが「好き!」だった。

ただどのアルバムに入っているかはわからずで、印象的なタイトルとサビのメロディとなんか面白かわいいバンド名だな〜ということだけが、妙に頭に焼き付いた。

 

その年の秋。早くもその心を奪われた曲と再会した。

家族と買い物に行った地方都市のデパートに当時あったCDショップで見かけたメジャー1stアルバム「C」だった。

店頭で試聴して、驚いた。1曲目が「CRAZY FOR YOUの季節」

すぐにレジに持っていった。

あっという間にこのアルバムが気に入り、MDに録音して、勉強しながら聞いていた。

音楽のことや専門用語はわからないがどこか癖になるギターロックサウンド、10代のうちに感じた輝きや甘酸っぱさ、それと隣り合わせにある死への願望や絶望などが織り交ぜられた歌詞。一瞬で虜になった。

インディーズ時代のCDも買ったし、新曲が出るたびにCDを買った。当時はまっていたラジオ番組「SCHOOL OF LOCK!」にメンバーがゲスト出演すると聞いたときはMDに予約録音して聞いた。ボーカルギターの人がものすごく饒舌だな〜と驚いた。 その後このラジオ番組とは大きな縁が繋がっていくのだが…

当時は公式HPや公式ブログが主な情報源だったし、携帯電話を契約して真っ先にガラケー用の月額課金制ファンサイトに登録した。

それから、私の高校~大学時代には常にBase Ball Bear(以下ベボベ)と共に過ごしていた。

全ての楽曲を手掛けるギターボーカルの小出祐介氏の感性、制服姿の少女が印象的な数々のMVが私に強く焼き付いてしまい、自分の物事の好みや感性の根底に居着いてしまった。

 

 

これは私がハマってからずっと後に出た曲だけど、まさにこの通り「すべては君のせいで」というわけだった。

余談だけど本田翼はベボベのMVに3本出演しているが、どれも大変に魅力的なのでおすすめ。(橋本愛が出てるMVもあるけど…あれは正直自分の中で解釈違い…)

新譜が出るたびCDショップに駆け込んで購入したし、雑誌のインタビューもチェックして読んでいたし、レギュラーラジオも毎週聞いていた。特に前述のSCHOOL OF LOCK!番組内でのレギュラーラジオベボベLOCKS!」はロックバンドのラジオなのにこんなに面白いのは何でだろうかというくらいに、企画もリスナーも突き抜けていた記憶があった。

メールは採用されなかったが、私も確かに窓際の「B組」の生徒だった。*1

途中から番組内の企画が明らかに10代学生向けになっていった頃には「これは自分向きじゃないな」と思い聞くのをやめていたが、Webラジオ時代から地上波放送の最終回まで、長いこと聞いていた。

最終回の狂気的な設定とオチは今でも忘れられない。 どこまでもロックバンドのラジオらしくない。知らない人がいたら今でも誰かに話したいくらいだ。

(ちなみに2代目構成作家アニラジの筋で超有名な方だと最近気づいた)

高校時代はなかなかライブに行けなかったが、大学に進学してからは、ライブツアーで近場に来ることがあればチケットを取って行ってたし、人生初のライブ遠征もした。

このころにTwitterも始めたので、ファン同士の友達もできた。

普段ライブがないと行かないであろう土地に行ったし、同じツアーで2公演参戦したこともあった。

不定期に日比谷野外大音楽堂で実施する野外ライブ「日比谷ノンフィクション」も何度か足を運んでいたので、有楽町駅~日比谷公園の周辺を歩くと、あの頃ライブのために歩いていた記憶を思い出し「大好き!」な気持ちでいっぱいになる。

小さなライブハウスで人波に押されもまれながら最前で見た経験も初めてだったし、東日本大震災の影響で行く予定だったライブが中止になったときは、ひどく落ち込み悲しんだ。

幸運にもバックステージ招待のキャンペーンに当選し、ライブ後のメンバーを前にして支離滅裂でしどろもどろなことを言ってしまったこともあった。あの時もらったサイン入りのドラムスティックは今でも大事にしまっている。

ライブの最後には「必ずまた会いましょう!」と小出氏が最後に言ってくれたことが、私にとっては一つの祈りで、救いのように聞こえていた。

当時在籍していたギタリストが「推し」だったので、気づけばスタンディングの上手エリアにいることが多かったし、チケットの整理番号が早めだったときはとても嬉しかった。

推しを同じくする友人たちとも、ライブのたびに沸いていた。

 

 

 

そんな感じでぞっこんなファンだった私が、大きく距離を置いてしまう事態が突然起きた。

 

 

 

前述の「推し」の脱退だ。

 

 

 

今でも思い出してトラウマになるような出来事。

 

 

経緯も「推し」からの一方的な縁切りと言っていいほどで、でもどこかそうなってしまうのもやむを得なかった、と最近の「推し」を見ていて思い当たる節もあるような、自分の中で納得できるようで、飲み込むことのできない脱退劇だった。

これらの発表が出た直後にバンドが初めて公の場に出る舞台は、私が参加したライブツアーの初日だった。

こんなにもライブに行くのが怖いと思ったのは初めてだった。

いつも一緒にライブに行き最前列を狙いながら参戦したファン仲間の友人と、その日は後方で見守るように立ち尽くしていた。

急遽参加してくれたサポートメンバーのおかげもありライブやツアーは無事終えられたが、そのころは今でもあまり思いだしたくないほどにつらかった。

 

もしかしたら、私たちが推しを応援していたこと、推しに求めていたことは、ひょっとしたら本人にとっては重荷になっていたのかもしれないのでは?と思えてきた。

私たちでは図れないような本人の心情やバンドの内部事情もあるかもしれないが、ファンにそのように見られていたことも全て、彼を苦しめていた遠因になっていたのではないのか、と。

我ながらものすごく飛躍した考えかもしれないが、今でもたまに、そう考えてしまう。

高校時代に知り合った4人で結成されたというバンドの成り立ちを知っていることや「この4人でなければ絶対に成立しない」という過去のインタビューで語られていたメンバーの言葉の影響も強く、ひとり欠けてしまったバンドはもう私の愛した物ではなくなるのでは…、という恐怖もあった。

直後に出たベスト盤に収録されていた、3人で演奏した既存曲の新バージョンは、どうしても当時の私の中では大きく受け入れがたいものになっていた。

 

「どんな形になったって私はついていく!」と表明していた活発なファン達と、SNSでの交流を絶った。

CDやグッズ、ライブの映像作品、書籍などをいくつか手放した。

一生会員でいると思ってた、高校の頃から入会していた月額会員のファンサイトもあっさりと解約できた。

それまでの私の一方的な信頼の大きな瓦解、好きだったものが大きく変わってしまうこと。

いろいろなものが怖くて、明確に好きだったものから、だんだんと鍵を閉めて距離を置くことを決めた。

 

 

 

私が距離をおいた間、彼らを取り巻く環境も大きく変わっていた。

試行錯誤した結果3ピースバンドで活動していくことを決め自主レーベルを立ち上げたり、結婚し子供が生まれたメンバーがいたり、親交の深かったミュージシャンを亡くしてしまったり。

 

私はといえば、音楽の趣味はそこまで変わらなかったがゲームやアニメにハマり、今ではすっかり男性声優の活動を追っかけることに興味が移っていた。ライブハウス通いも音楽フェス参戦も、すっかりご無沙汰になってしまった。

会社の同期がベボベのファンだとわかり、嬉しくなって話を聞いた。「3人でも今でもすごくカッコ良いよ!」と聞き、知り合いが遠くの街で頑張っているよ、というのを人伝に聞いたような心地になった。

あと、その間に私がハマったゲームアイドルマスターの雑誌特集で、アイドル音楽好きミュージシャンとして小出氏が楽曲レビュアーに選ばれたときには「世界が交わった…!?」と狂喜乱舞した。

自分が好きなもの同士が同じ仕事に関わることほど、うれしいことはないのだ。

私の好きなアイマスの楽曲に概ね好意的な印象を持ち素晴らしいレビューを寄せてくれたことが嬉しかった。今でもその雑誌は大切に持っている。

 

 

一気に距離を近づいたのは、2021年のこと。

なんとなく流していたカーラジオで、流れていたこの曲。

運転中に聞きなれた声に気づき「あ、ベボベの曲か」と運転中に少しだけ耳を傾けて聞いていたら、予想外にずっしりと歌詞が胸に刺さり、帰宅後にすぐにダウンロード販売で購入した。

ゆったりとしたスローペースのロックバラードに、自分を好きになってもいいよ、と思えるような歌詞。

何気ない日常でも、自分をもっと大切にしてみよう、という時に聞きたくなるような。

一度やんでいた音、ずっと奥底にしまい込んでいたものを、また開けてみようか、といった心地になった。

 

その後すぐにリリースされた「SYUUU」も、私がよく聞いていたころの作風に近い4つ打ちのビートに乗せたさわやかなギターロックサウンドで、一気に好きになってしまった。

最後の「ばかやろう」に、いろいろなことを考えてしまう。

MVも独特でとても好きだ。

 

 

 

大きく話は変わるが、今私が一番好きな音楽番組は関ジャム 完全燃SHOWだ。

関ジャニに関しては正直「誰のファンかといえばヤス!」と昔からぼんやり思っているくらいのドにわか知識しかない。

供給の多さとか、地方民という満足に追えないもどかしさなどに疲れて追うことを早いうちに諦めてしまったため、長いことの茶の間ファンだ。

でも今年発売されたシングル喝采はとてもかっこよくて好きで、初めてCDを買った。

 

今まででもたまに見られたバンド形態での楽曲というのも琴線に触れたけど、メンバーが減ってからギターを弾き始めた横山裕さんの姿も泣けてしまう。

 

閑話休題

関ジャムは、J-POPのみならずクラシック、ダンス、ミュージカル、アニソンなど、多様な音楽のプロが集まり、すごいところ、褒めるべきところを解説付きでわかりやすくお茶の間に伝えてくれる、今一番大好きな音楽番組である。

私が「ドライブ」に出会った直後(昨年6月)に放送された関ジャムは「日本の3ピースバンド特集」で、ちょうど小出氏が出演していた。

元々4ピースだったバンドが3ピースバンドと紹介されることに対しては、この頃は正直胸中穏やかではなかったが、「色々あって3人になった」という言葉で濁されていたのですっと受け止められた。

番組内では3ピースバンドになってからのスタイルの変化などについても話されていて、私が今まで見るのを必死で避けていた3人のライブ映像も少しながら放送されていた。

ライブ映像を見て 「すごいかっこいいし、あまりにも変わらない!」と思った。

推しの脱退直後に聞いた新録の音源よりも、すんなりと私の中で受け入れられた。

1つピースがかけても、さらに貪欲に、音楽に対して向き合って、3人でできることを突き詰めていった3人がいた。

 

この特集の放送をきっかけに、またよく聞くようになった。

昔ほどのペースではないが、今でも言われれば好き!と言えるバンドだ。

最近はベボベファンの同社の同期と連絡も取れていないが、再会したら思いっきりベボベの話をしたいと思っている。

 

 

 

来る11月10日、彼らは3度目の日本武道館ライブを行う。 

 


12年前の1度目は映像作品で擦り切れるほど見たし、10年前の2度目は現地で参加した。 

2度目の武道館は当時出たレコ発のライブのようなセットリストだし、バンドのあれこれに色々とよくない感情も抱いていた頃だったので「もう彼らが武道館で出来るのはこれが最後かもしれない…」という気持ちで見守っていたことを、うっすら覚えている。ライブはとても良かったし感動したが、それは別として、思うところが少しあった。

 また、過去2度はどちらも年始すぐのライブだったが、今年はバンド結成20周年のラストを締めくくる11月10日に行うというのも、とても粋である。*2

 

 

1,2回目の武道館公演のステージ上での緊張感と、強張った体感はよくよく覚えています。

今回もまた緊張はすると思いますが、いまの自分たちであれば間違いなく楽しめる。

もっとみなさんを楽しませることができる。

なんて、根拠のない自信がつくくらい、この10年という時間は、自分たちを鍛え、育ててくれました。

かつてBase Ball Bearと共に青春を過ごしたみなさん。

その青春の先に何があるのか、見てみたくはありませんか。

この10年でBase Ball Bearと出会ったみなさん。

この物語の先に何があるのか、知りたくはありませんか。

(引用:Base Ball Bear公式サイト 武道館ライブ告知ページより)

 

3度目の武道館公演に際しての小出氏のこのコメント、とても良い。

年月や悲喜交々のさまざまな経験をしたうえで、楽しませることができる、と言い切れる自信があるということ。こんなんもう期待値上がりまくりである。

 

「生きている音がする やんでもまた再生しよう」

 

このフレーズを武道館で聞いたらもう、泣いてしまいそうだ

 

*1:番組の特性上、パーソナリティはB組の講師、というていで進行されていた。

*2:結成記念日は2001年11月11日。ライブの翌日でちょうど21周年。